建物

飽き性ですぐ言ってることが変わるので一週間前の文章はもう自分が書いたものではない。

劣等感その正体

 

 

常に人と比べて劣等感を抱くが、それの一つの原因は

いろんな人たちと関わるから

だ。

 

おしゃれに命かけてる友達もいる。絵がメチャクチャ上手い友達もいる。勉強が死ぬほど得意な友達もいる。映画や音楽に超詳しい友達もいる。遊びが超得意な友達もいる。悪いところに目を向けずいい面を見ることが出来る友達もいる。オタクとして推しに熱中して楽しそうな友達もいる。まともな社会人コースをまともに上手く渡り歩いてる友達もいる。いい男の人といい恋愛してる友達もいる。

自分はその全ての分野でいいな、自分もそうなりたい。と思う。

でも、自分の場合、本当に興味も極めたいことも多すぎて、全部に対してこうなりたいああなりたい、そしてそれを叶えるのは不可能な話だ。

おしゃれに命かけてる友達とおしゃれで同じくらいになることは難しいし、

勉強に捧げてる友達に勉強で同じくらいになることは難しい。

 

自分はおしゃれも勉強も仕事も恋愛も遊びも趣味も全部そこそこでバランスよくするのが1番合っている。それが一番依存先を分散させられて自分的に健康だから。

それが分かっていても、やっぱりもっとこうなりたいという気持ちは止められない。

でも最近はそれがプラスの原動力になってかなりいい感じ

 

何故か、無い

 

 

友達が多いよねとかおしゃれだねとか言われることがある。実際に、社交的だしよく遊ぶし服にはこだわりを持っている。

でもなんでか知らないけどあとに何も残らない。

友達と思っていた人も、勝手に私が期待しすぎるせいで一方的に距離を置いてしまう。その場しのぎの友情と思っているわけでは無い。本当にその時は仲良くて好きだと思っている。でもなぜかあっもういいわってなる瞬間が来て、それが来たら静かに消えてしまう。

服は沢山集めたいしよくネットショッピングもする。実際多くの服を買う。

でも何故だか知らないけど大半の服に対して一週間経つとこんな服の何が良くて買ったんだろう。と思う。

服も友達も、趣味のひとつひとつも、全部その時は本当にずっとこれが好きだと思って選んだりしている。でもその確信は脆く毎回あれ?気が変わったな。となる。

心を開いて完全にそのままの自分を人に対して委ねることや、これだけは一生ものだと思えるものが現れることは、自分に今後あるのか。

不思議なことに、物にしても人にしても趣味にしても、別にこれが絶対に必要だ!ずっと好きだ!と思わない場合の方がお気に入りになったりずっと仲良かったりする。

変な力を入れるのが多分良くないんだと思う。

最近は飽き性だということを完全に受け入れて悪あがきするのをやめました。

 

 

 

こだわりを持て

 

 

自分は勉強も創作も音楽も映画も本も服も友達と遊ぶことも大好きで、すべてに手を抜きたくなく、というか偏って視野が狭くなるのが本当に嫌なので色々とつねに高みを目指している。

 

でも、広くこだわるからそうなるのも仕方がないとはいえ自分のこだわりってまだまだ雑だなと思うときも多い。

 

創作より映画とかを観るほうにかたよったり、自分の個性を貫くおしゃれよりも友達と遊びまわるために動きやすくてラフな服装に流されたりするからだ。

依存先が多く興味の幅も広いので、そうなるのも仕方ないのかもしれないけど、本当は全てにおいて妥協するのは嫌だ。

そのくせ飽き性で短気な性格かつ流されやすいので、周りに合わせてしまったり短気さでこだわり切ることができず、後からもっとこだわることできたなと思うことが多すぎる。もう少しこだわればもっと良くなるとわかっていても途中でやめてしまう。

 

たとえば、化粧の話だと、発色のいいアイシャドウとリップとパッキリした色のアイライナーマスカラがあれば分かりやすく良く見える。でも、本当はハイライトにこだわったりうっすい色のアイシャドウを何回も重ねたりすること、見えにくいこだわりを自分で妥協しないことが一番なによりも大事なことなのではと思う。(人に見られるということに関してもそうだし、自分で自信を持つためにも)

あと、自分は服も好きだけどそこまでこだわりきれず(そこまで手が回らない)トップスにかわいい服着て下はジーンズと黒スニーカーが鉄板(あとは軍モノ)なんだが、それもベルトの色にこだわるとかアクセサリーを細かくつけるとか、パッと見てあんまり目に入らないだろうという部分はかなり手を抜いてきた。

そういうのももっとこだわり抜きたいと思っています。それで最近は小物をたくさん仕入れたりしている。

おしゃれとか美容が得意で見た目が良くなったとしても、自分はそれだけだとイヤなので、今でも映画も音楽も漫画も創作も内的な部分を豊かにすることは大好きと思っているけど、詳しい人と比べると本当に全然詳しくないのでもっと詳しくなって大好きになりたい。あともっと面白い人と仲良くなりたい。(だからもっといろんな分野に詳しくなりたいという気持ちもある)

娯楽に関してもそうだけど、勉強とか仕事に関しても絶対に妥協しないように自分のやり方を見つけたいと思う。

ずっと鍛え続けることで、こだわりを持てるようになると思うので、

こだわりを持てる段階に行くまで全部がんばる(^_^)

信用

 

 

人のこと信用するのって怖くね?ということを一年前の自分はいつも思っていた。

当時自分はモラトリアムの真っ最中で自信が持てず、優しい彼氏ができたが「本当にこんなにいい人がわたしのことを好きになるわけがない」と思い、信用したいけど全然信用出来ず苦しんでいた。

実際に、その彼氏はかなり猫をかぶっていて、決定的に信用出来なくなるような嘘をついていたわけではなかったが、小さくても自分にとってはなんか嫌な嘘をついていて、それが発覚して喧嘩したし、それが原因ではない(私のせいです)けど別れてしまった。

そんなこともあり、一層「人のことって期待・信用しないほうがいいかもな」と思うようになった。

 

美人で頭の良い知り合いも、「彼氏だと思っていた男の人が既婚者だった」と言っていたし、そういうことって普通にあり得る話なんだよな。

叶姉妹のラジオで、リスナーからのお便りに「また近いうちに会いにくるねと言っていた彼氏から突然ブロックされ音信不通になり半年経った今も消息不明」というものがあった。それにたいして恭子さんは「連絡が取れないということが答えなのよ。そんな出来事、世の中に沢山あります。」とバッサリと言っていた。そんなものなのか。ひどい話すぎる。優しくていい人ほど、怪しさに気づかず素直に信じてしまうのだと思う。

でもありふれているのだろう。

社会人になったら、仕事のために嘘をついたり当たり前にしなきゃいけないし、本音だけで生きていけるわけない。心苦しくてもそれが普通なのだ。

 

極力、悩み苦しみ弱らないように、強くいれば、自分でしっかり立って無駄なものを信用せずに済むのかもしれないし、

相手がどうであろうと、100パー疑うことも信じることも出来ないから、すべて割り切り、自分自身を信じる努力をするしか無い。

信用するかしないか決めるのも、他人のせいじゃなくて自分のせいだということ。

後悔と実践

 

 

最近ようやく、人生はクソ短いということに気づいた。モラトリアムにモラトリアムを重ね生きてきたが、ようやくそれが不毛だと気づいた。

去年の自分は酷すぎて目も当てられないほどだった。毎日朝まで寝ずダラダラ映画見たりTwitterみたりして自律神経は乱れまくり、短気、なんか知らないが運も悪く基本楽しくなかった。

ただ、このような日々を過ごしたことで、嫌な思いしたぶん学びはあったし今後同じことを繰り返さないよう選択してけるようになるとは思う。

生活や自分の性格の悪い部分、人間関係の見直しなどかなりいろいろ勉強にはなったが、仕事や将来のことに関してはマジでお花畑もいいところだった。こういう避けて通れない部分を避けて通りすぎていた。

まあ正社員として早く働いたとて別に楽しくないだろうしどちらにせよクソだということは明らかだが、早めに地獄を知ることは不毛ではないと思う。わたしはここまでよく生きてこられたなと思うほどだ。

わたしはもう地獄を知ることが全く怖くなくなった、なんでもできるだろうと思えている、人生は、地獄を知った上で、いかに脳内花畑状態を保ち誤魔化しながら生きられるかゲーだということだ。

去年浮浪者の引きこもりをやりすぎたので、ことしは去年の倍生きまくるということ、そういう気合いが大事、対戦よろしくお願いします

手段と目的

 

 

 

わたしは将来性のある仕事がしたい。お金が必要だから。継続して安心できる仕事に就きたい。なぜお金が必要なのかというと、

ハイブラのバッグやデパコスや銀座の寿司のためではない。

 

もしそういうのが好きなら自分はキモいカルト映画を漁って一人で観て喜んだりしない。

 

高くて派手でイケてる服と文化的な生活と面白い人たちとの交流と素晴らしい男との恋愛のためだ。

 

民主主義とは恐ろしいもので、多数派の意見価値観が正しいと全員に思わせてこようとするものだ。人は染まりやすい。環境に適応するともいえる。私が弱いからではない。全員がそうなのだ。人間とはそういう生き物なのだ。

 

私が求めるこの目的、上に書いた目的は死ぬほど大事なことで、これは譲れない。他の人に惑わされるとかもったいない。

お金を稼ぐというのはただの手段で目的はもちろん文化的なお祭りに決まっている。それを忘れてしまうのは本末転倒だ。

マジでここ気をつけたほうがいい。何のための努力かわからないまま無理やり努力しようとしてた自分が愚かでならない。

 

洗脳が加速して焦ってる状態で選んだ職場が正しい職場なわけがない。無駄に比較し焦る必要もない。ただのんびりしすぎたら勿体無いことになるからそこだけ気をつければいい。

 

意識高い系の人たちのことを見過ぎて大事なこと見失っていた。気をつけて定期的にこの文章を読もう!そして大胆に甘やかしてくれ自分を

栄え

 

 

 

 

自分はエゴイズムを体現していて、八方美人とは対極にいる。好きな人としか一緒にいない。うわべの付き合いとかない。エゴイストだとばれてもいい。エゴイストで好き嫌いはげしいのに一緒にいるということは、好きだということの確固たる証拠になる。

自分のことを好きでかつ自分も好きな人しか周りに残らない。やさしい世界ができる。

 

自分は精神が逆張りなので、多数決も資本主義もいやだし、多数派の価値観に洗脳されたくない。マイノリティだと思う。でも、だからといって多数派に馬鹿にされるのはぜったいにいやだから、無神経なマジョリティに馬鹿にされない程度の、もし馬鹿にされても言い返せる程度の地位は確保していたい。そうしてやっと自分の好きなものを、余裕をもって愛することができる。

 

働きたくないし社不だし金より遊びが好きだけど、自分は自由にほどほどに洗脳されずに入れ込まずに不真面目ででもすごく真面目でまともな人間だ。

 

自分の価値観が洗われていて、自分の幸福が何かわかってるので、他の人の価値で自分を図ることもない